夏のような陽気。Tシャツ一枚で出ればよかったと後悔するも、上着を脱いで手に抱えるのも鬱陶しい。風を浴びるために自転車の速度を若干上げたが信号で止まると暑さが体にまとわりつき失敗したと悟る。
 スーパーの自転車置き場に自転車を停めて店内に入ると、四月だというのに既に冷房が入っていた。弱めではあるが。
 目当ての品を籠に入れてレジに並ぶ。平日なのに客が多いな、と思っていたら今日から大型連休の開始だということに思い至る。専業主婦にとっては大型連休だろうが早朝からスーパーに買出しに行くという行為は日常だろうが、今日に限っては夫婦であったり家族連れなどが多く、それでいつもより客が多く見えたのだろう。
 レジ前の列に並ぶ。レジの若い女性の手際を見ているとまだ覚束ない。自分の番になって名札を見ると、名札の下に「実習生」と書かれたプレートがついていた。覚束なさに合点がいった。支払いの際に視線が合って俺は目を逸らした。レジ打ちの女性は仕事として客の目を見ただけだろが、今の俺には直視されるということがしんどい。逸らす以外の術を持たない。

 支払いを終え、ビニール袋に商品を詰め込みスーパーを後にしようとした際に視覚障碍の息子とその母親という組み合わせを見た。その母親は俺の母よりも年老いて見えた。息子の方もそれなりの年齢のようだ。息子の目となるために母は息子の腕を取りながらゆっくりと歩いていた。人には寿命という生命としての制限があるため、恐らく母親が先に世を去ることになるだろう。その後の息子はどうなるのだろう。そんなことをぼんやりと思うも今の自分には何もできないし、今でなくともできることなどないだろう。綺麗事を述べたところで欺瞞でしかない。かといって見なかったことにする、ということもできるのだろうか。
 いや、他人に関わっている場合ではない。自身の今後が何も決まっていないのだ。他人の行く末には関わっていられない。
 俺は自転車の籠にビニール袋をつっこむと家路に着いた。


可読性という試み。

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